【HCS】正夢【⑨】

【HCS】=春樹ちゃんシリーズ

<設定>
「倭鏡伝の春樹がもしも女の子だったら」
・セガ春ラブコメディ?(シリアス増加なう)
・高校生
・セーガ擬人化あり

<発端>
唯夜「セーガの擬人化がイケメンすぎてつらい。春樹君を女の子化したらセガ春書けるレベル」
あずさ「書いてください」

<執筆>
・執筆者:唯夜さま
・サイト名:Useal Night Sky
・URL:http://sky.geocities.jp/free_night_sky/UNS/top.html

<執筆者から一言>
唯夜「ごめんなさい


※本編とは直接関係ありませんが、女体化・擬人化等が苦手な方はご覧にならないようご注意ください。
 この注意を無視した文句は受け付けられませんのでご了承ください。



今までのログはこちら↓

<written by 唯夜>
♭1
慌しい日向家の朝。
♭2
「割と違和感」
♭3
唯夜さんオリキャラ、里桜ちゃん登場。
♭4
甘々セガ春ここに極まり。
#番外1
里桜と日向兄弟。
♭5
シリアスってきた(`・ω・´)
♭6
渚がカッコイイだなんて。
#番外2
里桜視点にて。
#番外4
番外3の続きを唯夜さんにて。
♭7
「春樹」を巡って、世界が。
♭8
真実と事実が、今、「おかえり」。

<written by あずさ>
#番外3
あずさが乱入。大樹ウラヤマ。

<written by 銀>
♭高校生プリンセス
※上記とは別設定です。

<drawn by 緋雨>
◆春樹とセーガ
◆大樹と里桜と、?
*****


 翌朝、三人は日本に戻ってきていた。喧しい目覚ましの音で目覚める。
 セーガの人型は、本当は瀬川萼と言う名前らしい。近衛隊の一人で、昨夜元の職場に戻っていった。渚も力の説明が終わると、姿を消した。
 ――力……セーガじゃない、私の本当の力。
 あの時、春樹を消すために使った力を、萼は『つじつま合わせ』と呼んでいた。
 生命以外のあらゆる形なきものを書き換える。それは例えば、名前であったり、肩書であったり、資格であったり。今回の場合、春樹の王子という立場を書き換え、そこに自分を押し込んだ。その力は一気に広がって倭鏡を包み、一瞬で人々の記憶にあるそれすら書き換える。
 では、なぜ渚は元の記憶を持っていたのか。それも萼が説明してくれた。
 事件当時、渚は日本にいた。その力は鏡を通した向こう側には影響しなかったようで、渚は難を逃れたのだ。
 しかしそれでは、更に疑問が残る。どうして里桜や蛍、隼人は春樹という名を違和感なく使っていたのか。
 それについては、萼の力が原因なのだという。萼の力は、他人の力に干渉し、力の影響を変更すること。その力を使ってセーガを本来の主人である春樹から切り離し、なり替わった春樹の力とした。その力で持ち主が本来の力を忘れ、力の制御ができない状態の『つじつま合わせ』を制御した。そのおかげで力の干渉が一定範囲に制限され、周囲にいた人間には干渉し、居なかった渚には干渉しなかった、らしい。
 ――なんだか難しいけれど……私は『春樹』じゃなかったのよね。
 『つじつま合わせ』は、本人がそれを使ったことを知覚すれば解除されるのだという。だから昨晩、二年前に行った『つじつま合わせ』は解除され、現在では春樹は春樹としてここにいる。日向家の二男として。
 ――私の双子の弟として。
 学校では、転校扱いになるらしい。修正したものを戻す時の『つじつま合わせ』が起こることが、能力解除の合図だそうだ。
 ただ『つじつま合わせ』を知覚していた人間には、記憶の修正は起こらないらしい。萼の力により『つじつま合わせ』を解除されていた人間や、渚の様なもとからかからなかった人間には『春樹』が女性であった時期の記憶が残る。『つじつま合わせ』の持ち主にも無論記憶が残る。そんな中で。
 ――私は元の名を名乗らなければならない。
 春花という、名前を。


 起き上ると、鼻孔をおいしそうな匂いが刺激した。
 ――誰かが食事を作ってる……まさか大樹が? ありえない。
 キッチンには絶対に入るなと厳命してあるし、第一彼が作ったのならこんなにおいしそうな匂いは漂ってこない。そろそろと、キッチンを覗き込んだ。
 そこには、春樹がいた。春樹がフライパンを操り、朝食を作りだしている。

「おはよー……」

 そこへ、大樹が起きてきた。
 ――大樹が……私が起こす必要は、もう無いのね。
 ふと、いつか見た夢が脳裏に浮かぶ。
 居場所の無い家。居場所の無い学校。
 そこに居なくなったセーガと、萼の姿が重なる。
 ――私から、何もかもが無くなっていく。あの夢は正夢だったの……?
 大樹に牛乳を飲ませるのも、彼を朝起こすのも、朝食を作るのも全部『春樹』の役目だったのだろう。『春樹』ではなくなった今、それをする理由を春花は持たない。
 『春樹』になり替わったあの日から、春花は『春樹』であるということしかしていない。春花という一個人が積み上げているべきことを何も行っていない。
 ――ここに『春樹』がいる。そして『春花』は居ない。

「いや……いやよ……」

 普段はきっちり着こなしている制服にぞんざいに袖を通し、朝食の完成を待たずに家を飛び出す。学校までの道を息を切らしながら走った。
 夢ではあれほど短かった道のりが、今は異様に長い。
 ――違う。私が遅いの。
 学校に近づくたびに恐怖する。そこに自分の居場所は残っているのだろうか。あの夢の通り、自分の居場所は消えてしまっているのではないのだろうか。
 そんな思いが沸々とわき起こり、足が重くなる。竦む。
 ――でも、もしかしたら……。
 まだ自分の居場所はあるのかもしれない。もしかしたらあるのかもしれない。そんな思いが心の片隅にあって、足が少しずつ前に進んだ。
 学校が見えてくる。
 白い、遠くから見れば綺麗な壁。あの壁は近づくほど汚れとヒビが目立つ。そのヒビが徐々に確認できる距離に近づく。更に近づく。白い壁は見えなくなって、茶色い木製の靴箱が代わりに見えた。
 校舎に入ったのだ。自分の靴箱を探す……。
 ――無い……。

「日向?」

 背後から声をかけられて、思わず肩が跳ねる。

「お、おはよう」
「すまない、驚かせたか?」
「ううん……」

 やってきた蛍は隣で靴を履き替えている。

「履き替えないのか?」
「私の靴箱……どこだっけ?」

 蛍に問うと、彼は驚いたのか目を丸くした。その表情はすぐに心配そうなものに変わり、真面目な彼らしく真摯な口調でこう言った。

「お前の靴箱はここだが……具合悪いのか?」

 彼の問いには答えず、そっと指し示された靴箱を見る。そこには『日向春花』と書かれていた。

「ここ、私の……?」
「あぁ、名前もそうなっているだろう。日向春花って」
「私の名前……? 違う、よね?」
「何言ってるんだ……やっぱり具合悪いんじゃ……」
「そう、みたい……」

 何とか、それだけを答える。『春樹』ではなく『春花』。それが本当の名前であることはわかっている。全てがこうなって、元通りになってしまったこともわかっていた。
 ――わかってた。けど、ただ……。
 ただ、受け入れられなかった。

「無理せず早退した方がいいんじゃないか?」
「ううん、とりあえず保健室で様子見るよ。できれば授業に出たいから……」

 気遣わしげに接してくる蛍に手を振り、靴を履き替えてその場を後にする。足は教室ではなく、普段めったに足を運ぶことの無い保健室へ向いていた。
 扉をノックし、少し待って開く。どうやら保健室の主は外出中のようで、中には誰もいなかった。
 誰もいない保健室に一人。春花は窓際のベッドにそっと腰かける。窓に切り取られた空はどんよりと曇っていた。雨が降りそうなほど灰色の空は、まるで自分の心の中のようだと思う。
 ――そういえば、傘忘れちゃったな……。
 降らなければいいのだが、その希望を叶えてくれそうな空模様ではない。雨に濡れながら帰るか、それとも誰かの傘に入れてもらうか。
 ――里桜……入れてくれるかな。
 彼女なら入れてくれるだろう。問題は彼女と一緒に帰ることができるかということだ。普段なら問題なく帰ることができるし、今日も放課後に活動するというイレギュラーは無い。ただ、たった一ついつもとは違うことがあった。
 ――里桜も……私のこと春花って呼ぶよね、きっと。
 その事実を受け入れられるかどうか。現状の自分では無理なのは百も承知だ。だのにあえて試してみるか。それとも濡れて帰るか。
 ――そのまま、帰ろうかな。
 とりあえず授業を受けなければ。そう思って立ち上がろうとするのだが、その度に見えない誰かが……いや、彼が自分の『春樹』と言う居場所を占拠している姿を想像してしまう。足の力が抜ける。
 ――ダメね。奪い取った立場にしがみついて離れられない。私のものじゃないのに……。
 では、自分のものである立場とは何なのか。それはどこに存在するのか。
 ――そんなもの、あるわけない。
 あるわけないの。呟いて、彼女はベッドに倒れ込む。その頬を涙が伝って、シーツに染みが二つできた。

「かえ、ろうかな……」


 入学当初から惚れこんでやまない親友のいるクラスに、どうやら転入生がやってきたらしい。転入生は男子生徒で、しかもものすごくカッコいいとのこと。同じクラスの女子が『あのクラスは杉里くんと咲夜くんがいてただでさえ羨ましいのに、もう一人なんてずるい』と騒ぎたてていた。しかも噂では親友と同じ中学にいたこともあるとのこと。
 それだけなら『男性は大樹が一番』と日頃から豪語する里桜の気を引くことはないのだが、気になったことが二つ。一つはその転入生、姓を日向というらしいこと。どうやら親友と双子のようで、それは当然大樹と兄弟となる。これは仲良くしておけば色々とメリットがありそうだ、との下心で、里桜は彼にコンタクトを取るため親友のクラスにやってきた。
 ――あれね。
 例の転入生の居場所はすぐにわかった。まるで漫画のような人の群れだったからだ。

「おや、里桜チャンじゃないか」

 教室の入り口で呆れかえっていると、こちらに気がついたのか美形男子が声をかけてくる。博愛主義を公言し、しかもその通りに男女わけ隔てなく接する彼を里桜は嫌いではない。だが、公言はしないが編愛の自覚がある里桜にとって彼は別の生き物に等しい存在だった。

「咲夜くん、例の転入生はあの中?」
「そうだ。昔とはずいぶん変わっていて驚いた」
「あれ、杉里くん知ってるんだ?」

 あまり同種と言う考えはないにしろ、嫌いじゃない顔見知りがいて声をかけてくれたのだからそちらへ向かう。するとその隣に、隼人よりも人間らしい人間の蛍がいた。

「まぁ日向たちとは中学からの仲だからな」

 それが気になることのもう一つ。何らかの理由で転入生がどこかへ行っていて、戻ってきたのはあり得るとしよう。だがなぜ彼の話題がいままでの記憶に一度も出てきていないのだ。親友と言うだけあって、彼女とは長い時間共にいたと思っている。家に遊びに行ったのも一再ではない。
 しかし、双子だという話は聞いたことが無い。
 ――なんか、おかしくない?
 その考えに拍車をかけるのは、今ここに親友の姿が無いことだ。蛍の話では朝来ていたが具合が悪そうで、保健室で休んでいると言っていた、とのこと。
 しかし三限の休み時間に心配で見舞いに行ったときには、彼女の姿は保健室になかった。
 ――昼休みになっても教室に戻ってないみたいだし、早退したってことにもなってない。
 彼女はどこにいる。今の彼女は何かがおかしい。
 ――違う。『今』がおかしい。
 記憶に齟齬はない。ように思える。だけど細かいところで違和感がある。
 ――そう。例えばあたしは、親友の名前を思い出せない。
 正確には思い出せるのだが、違和感がある。間違っていないと思いながらも、それが普段呼んでいた名前のように思えない。

「ねぇ、あの子は……?」
「あの子? あぁ、春花チャンかい?」
「あいつはまだ保健室だと思うが……」
「教室にも来てないの?」

 問えば、二人はそろって首肯する。
 ――保健室にもいない。教室にも来ていない。もう学校にいないの?
 後で靴箱を見に行こう。学校の外なら靴は無いはずだ。もし靴が無ければ家に電話してみる。それで捕まらなければ探しに行く。今後の段取りを頭の中で素早くまとめる。正式に早退するのは無理そうなので、今日は無断でさぼることにする。優先すべきは学校より友人だ。

「あ、春樹クン。もういいのかい?」
「うん、皆質問してくるから疲れちゃった」
「おつかれさん、日向」
「ありがとう、杉里君。あれ、その人は?」

 いつの間にか人の群れは解散していて、その中心にいたであろう人物が目の前にいた。
 褐色の肌、平均より高めの身長。野性的な風貌だが、瞳は理知的で落ち着きがある。その二つが、一歩間違えばアンバランスに傾くほどギリギリの境界線で均衡を保っていた。
 ――皆が騒ぐわけだ。
 転入生は里桜の目から見ても格好いい男子生徒だった。

「中塚里桜。あなたの弟の彼女です」
「え」
「まぁそれは置いておくわ。あなたは?」
「個人的に置いておける話じゃないんだけど……僕は日向春樹です。今日転入してきたんだ。よろしくね、中塚さん」
「里桜でいいわ」

 先ほど隼人が呼んだ時も思ったが、『春樹』という名前がどこか引っ掛かる。いや、引っ掛かるのは名前にではない。
 ――この人がそれを名乗ることに、ね。
 しかしなぜ違和感を覚えるのか。引っ掛かるのか。それがわからなかった。誰かそういう名前の人がいたような気がする。

「同姓同名……?」
「なんのこと?」
「……なんでもない」

 とりあえず本能が好きになることを拒む人間なのだろうと思うことにした。

「あたし、もう行くね。噂の転入生も見たことだし」

 なぜそう思うことにしたかは自分でもわからない。ただこの違和感がすっきり晴れるまでは好きにならないだろうと、漠然と考えていた。


 寒い。濡れた手がかじかんでいる。冬の雨を甘く見ていたのかもしれない。
 時刻的には四限の途中、学校を出た時にはまだ小雨だったのだが、今や豪雨だ。雨宿りをしようにも周辺に適した建物は無い。傘も無く雨に降られていたわけだから、当然服もびしょ濡れ。下着にまで染み込んだ水は体温を容赦なく奪っていく。靴の中に水が溜まって履き心地は最悪だ。
 ――でも、それでいいのかもしれない。
 体の感じる嫌悪とは別に、心が雨を喜んでいた。『春樹』だった自分を洗い流して、何もなくなった自分の中心から新たな自分を芽吹かせてくれるような、『春花』という存在を確立するアイデンティティをくれるような、そんな気がして。
 ――私は、たぶんもう『春樹』でないことを受け入れている。
 ただ、たくさんのものを持っている『春樹』から、何も持たない『春花』になるのが怖いだけ。
 現状を選んだのが自分だとしても、怖いものは怖いのだった。

「あんたなんかおかしいと思ったけどさ、まさか馬鹿になったの?」

 空から叩きつけるように降っていた雨が止む。違う。体に当たっていた雨粒が遮られている。その証拠に、眼前のアスファルトでは雨粒が跳ねて砕けていた。頭上では傘を雨が叩く聞き慣れた音がする。

「里桜?」
「傘、持ってないなんてらしくないぞー?」
「むぶっ!?」

 振り返ると、里桜が強く抱きしめてくれた。冷えた体に温かな体温が沁みる。

「苦しい……っ」

 しかし彼女のやたら成長した胸部のおかげで息ができない。いくら暖かくてもそれが命と引き換えでは何のありがたみも無かった。

「人を殺すためにあるような胸ね……」
「え、違うよ。ちゃんと癒せるって。試しに揉んでみる?」
「……遠慮するわ」
「今日はサボるみたいだから、傘持ってないおバカさんを家まで送ってったげる」

 里桜にそんな意図はなかったのだろうが、そう言って笑った彼女の顔は『悩みなんて笑って済ましちゃえ』と書いてあるような気がした。
 ――でも、それは……。

「ところで春樹。あんたなんかあったの……?」
「別に、何もないよ」
「だって具合悪そうじゃないじゃん? なのにサボるなんて……あの転入生が関係してるの?」

 転入生。恐らく『春樹』のことだろう。
 ――『春樹』か……あれ?
 今、里桜は春花のことをそう呼ばなかったか?

「ねぇ、里桜。今何て……?」
「え、だからあの転入生が……」
「そうじゃない! そうじゃなくて、今私のこと、なんて呼んだ?」
「今? 春……あれ」
「どうしたの?」

 里桜は、覚えているのだろうか。『春花』ではなく『春樹』であったころの自分を。
 ――たとえ覚えていてもらっても、もう『春樹』になることはないけど……。
 それでもいい。それで居場所が一つできるような、そんな気がしたから。

「あってるって、分かるんだけど……なんか変なの。呼びなれないというか、まるで呼んだことの無いような……」
「その、名前は……?」

 『春花』か『春樹』か。自分のために、この親友には『春樹』と呼んでほしかった。今までの時間を正しい思い出として残してほしかった。

「春、花?」

 しかし、現実はそうはいかない。里桜は、『春花』を選んでしまったのだ。

「ちょ、春花!?」

 一人になってしまった。居場所が無くなってしまった。そんな思いが春花を包む。そしてその思いは、春花を全力で走らせていた。
 ――やっぱり、こっちに居場所はない!
 ならどこにある。倭鏡か。
 でも、と思う。
 ――倭鏡だって、ここと一緒。皆元に戻ってる。
 兄も、母も、父も……。
 ――あの人は、どうなんだろう……。
 脳裏に、雪降る夜の優しい笑顔が浮かんだ。


「やっぱり、あの転入生か」

 一人残されたアスファルトの舗装路で、里桜は呟く。傘を持つ手は下げられ、雨粒が容赦なく体に降り注いでいた。

「返してもらうよ、あたしの親友を。春樹を」

 服が濡れることも構わず、里桜は傘を放って駆けだす。目指す場所は春花と真逆。来た道をたどって学校へ。
 ――やっぱり、違和感は気のせいじゃなかった。
 彼女との会話の中で、意図的に『春樹』の名前を出し、反応を見る。違和感を覚えたのは名前にだったので、試しにやってみたのだが、当ては外れなかった。
 何らかの方法で『春樹』と『春花』は入れ替わっている。その際に何があったのか、どうして彼女が苦しまなければならないのか。

「全部問い正してやる。首洗って待ってなさいよ」


 学校に戻ったのは、五限の最中だった。濡れた髪も噴かず、服も着替えず、里桜は目的の教室へ向かう。

「中塚!? 今は授業中だぞ! それにその格好……」

 ノックもせずに引き戸を開けると、中にいた生徒の視線が一気に集まった。教壇に立っていた教師も里桜に注意を向ける。

「先生。そこの転入生をお借りします」

 しかしそんなことに構っているほど里桜に余裕はない。『春樹』を名乗る転入生に一歩一歩近づいていく。
 歩くたびに教室の床に水たまりができた。ずぶ濡れの里桜を遠巻きにするように、里桜が通る場所に近い生徒が椅子をずらす。

「里桜さん、授業中だよ。話なら後で聞くから……」
「後でじゃ、ダメなのよ……」
「え?」
「あんた、春樹って言ったわよね?」
「そうだけど……」
「それは……それはね、あの子の名前なのよ! あんたじゃない!」

 濡れた手で転入生の胸ぐらを掴み上げる。髪を振り乱しながら転入生を揺さぶる。
 机の上に広げられたノートと教科書が、里桜の髪から飛んだ水滴で濡れる。だが里桜は構わない。

「いや、春樹は僕の名前だ」
「そうだよ里桜チャン。彼は春樹クンだ」
「あんたは黙ってて!」

 横から口を出してきた隼人に怒鳴りつける。あまりの剣幕に、隼人はそれ以上喋ろうとしなかった。

「あたしね、覚えてるのよ。思い出したの。春樹はあの子の名前なのよ……だから返してもらうの! あの子からどうやって名前を奪ったのか知らないけど、それはあんたの名乗る名前じゃないのよっ! あんたがそれを名乗ることで、あの子は苦しんでる。あたしは……それが、嫌」
「君は、思い出したのか……でもね。それでも春樹は僕の名前」
「っ……!」
「今日、うちに来れるかな? 大樹と春花と三人で待ってるから」
「必ず、説明しなさいよ」
「約束する」


 同刻、倭鏡。
 日本と違い、倭鏡の空は晴れ渡っていた。

「国王。近衛隊の瀬川が面会を求めていますが」
「忙しい。呼ぶまで待て。以上」
「お伝えしておきます」
「例のものは?」
「大急ぎで進めていますので、もう完成する頃合いかと」
「御苦労」

 報告に来た城の者が部屋から出ていくと、葉はあからさまに欠伸をした。

「おーい、お前忙しいんじゃなかったのか?」

 そんな姿を見て、部屋の片隅にいた空がカラカラと笑った。

「忙しいんだよ、時間調整にな」
「なんだ、それ。手が空いてるなら瀬川ってやつと会ってやればいいのに」
「王様には色々と……いや、違うな。優しいお兄ちゃんには色々と事情があんだよ」
「色々と、ねぇ……それって春花ちゃんのことだろ?」
「そのうちわかる」
「俺、例のものっての気になるなぁ」
「それもそのうちわかる」
「葉のケチ。教えてくれたっていいじゃん」

 正直なところ、葉は萼の用件を心得ていた。それは多分空もだろう。
 ――わかってるから、余計時間調整が大事なんだよな……。

「話し聞くだけ聞いてやれば? 暇なんだし」
「暇じゃねぇ。それにあいつは妹の居場所を作ってくれる。俺たちと違う居場所を作ってやれるんだ」
「はぁ? なにそれ」
「お前、もう少し察しのいい人間だった気がするが」

 はぁ、と短いため息をついて時計を見る。指し示す時刻を確認して、そろそろかと呟いた。

「なにかあんの?」
「兄さん!」

 空のセリフに被さって、執務室の扉が騒音を立てて開かれた。飛び込んでくるのはずぶ濡れの春花。

「おいおい、ひっでぇ姿だな妹」
「それより、聞きたいことがあるの」
「あとで答えてやる。まずは風呂と着替えだ。色々用意してあるから、先にそれ。着替えとメイクは妹思いの優しい兄さんからプレゼントな」
「は?」
「連れて行け」

 指を鳴らすと、数人の女官が執務室に入ってくる。そのまま春樹を捕まえると、素早い動きで部屋を出ていく。

「なに、これ……」

 一人取り残された空はぼんやりと呟いた。

「さて、仕事だ。近衛隊の瀬川萼を呼んで来い」
「呼んで来いって、俺が!?」
「そのためにここにいるんだろ?」
「別にそういう訳じゃ……しょうがねーな」

 ぼりぼりと頭を掻いて、部屋の外へ出ていく。その背を見送ると、葉は長いため息をついた。

「妹思いの兄さんには、これが限界なんだよ……」


*****


あずさ「里桜が漢前すぎてつらい」

あずさ「お兄ちゃあああああああああああん」

あずさ「それにしても中学生組みがいつの間にやらアイドル衆みたいになってて吹かざるを得ない」
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あずさ

Author:あずさ
武器:シャーペン、ノート、パソコン、ポメラ
レベル:29
二つ名:囁(アビス)
あだ名:エゴイスティックスケコマシ
四字熟語:好色生活
(※二つ名メーカー、脳内メーカー等による結果)
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